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劇団「アラマンダ」座長 大屋あゆみさん

Ayumi Ooya

「聞こえない人も共に楽しめる」お笑い 目指して

演技と共に手話を使う大屋あゆみさん

演技と共に手話を使う大屋あゆみさん=2025年8月3日、東京・大田文化の森ホール。劇団アラマンダ提供

◼︎Profile

名護市生まれ、宜野湾市野嵩育ち。普天間高卒業し専門学校に進むが休学。スーパーで働く傍ら手話を学ぶ。浦添市役所が設置する手話通訳者を務め、「吉本総合芸能学院(NSC)沖縄校」入り。修了後、お笑いコンビ「ガレッジセール」のゴリさん主宰「おきなわ新喜劇」メンバーに選ばれる。2018年「劇団アラマンダ」旗揚げ。座長の大屋さん、お笑いコンビ「ピーチキャッスル」のマエショーさん、又吉ごはんさん、同「ハイビスカスパーティー」のゆかさん・ちあきさん、島袋忍さん、同「ハナフラワー」のリョウジさん、寺崎ガザオさんの8人が所属。

 

詳細なプロフィールはこちら(別サイトへリンクします)▶︎

大屋あゆみさんの詳細なプロフィールページへのQRコード(別リンクが開きます)

 

耳の聞こえる人も聞こえない人も、同時に笑える喜劇を届けたい。お笑い劇と手話を組み合わす独自のコメディで、那覇拠点に活動する「劇団アラマンダ」(よしもと沖縄所属)。糸満、沖縄、八重瀬など県内、更に兵庫や福岡などにも巡演、2025年夏は東京で初舞台。座長はお笑い芸人・大屋あゆみさん。幼い頃から歌やダンスが大好きで芸能界に憧れたが周囲の反対で断念。模索の時期、「居場所」を見い出せずにいたが、愛する歌に導かれ、聴覚障害を持つ両親から受け継いだ「手話」を強みに突破口を開き、天職をつかんだ。

ダイナミックな演技に客席が湧いた喜劇「民宿アラマンダ」

ダイナミックな演技に客席が湧いた喜劇「民宿アラマンダ」=2025年8月3日、東京・大田文化の森ホール。劇団アラマンダ提供

漫才、落語、ショートコント、物マネなど多彩なお笑いの中、ボケと突っ込み、ドタバタが魅力の「新喜劇」。昭和の関西に生まれ磨かれ、今も大衆芸能を代表するジャンル。「アラマンダ」はその伝統を基に新たな喜劇を創出、障害を持つ人へ届ける沖縄の先駆的な劇団だ。

 

2025年8月3日、東京公演。大屋さんとメンバーゆかさんとの手話講座で幕が開いた。「公園」「祭り」、そして「イケメン」。身近な単語を例に、沖縄と東京の手話の違いを、語りと手話で同時説明する。手指や顔の表情で表す手話。日本語とは異なる言語体系で、地域によって方言のように異なる手話表現があり、客席から感嘆が漏れた。

 

後半は演劇「民宿アラマンダ」。沖縄を舞台に宿主が従業員や客らと展開するコメディ。装置はやや簡素ながらテンポの速いボケ・突っ込み、身体を大きく使ったリアクション、ズッコケ。舞台を走り回る小競り合い、時に床も這う演出は吉本で身につけたお笑い。入場者に粗筋や登場人物を示す資料を配布。役者は全編、台詞と手話で語る。場の転換ごと、背景幕にカラフルな情景描写文を映写するなどの情報保障がある。台詞はウチナーヤマトグチ(伝統的な沖縄方言と標準語とが混交した沖縄の言葉)も挟み、カチャーシーの手踊りを観衆と楽しむ沖縄色も。客席は、手の平をヒラヒラ揺らす仕草と拍手で感動を示した。

「アラマンダ」メンバー。うち2人は東京が本拠だが、リモートのリハーサルや打ち合わせで一心同体

「アラマンダ」メンバー。うち2人は東京が本拠だが、リモートのリハーサルや打ち合わせで一心同体=2025年12月18日、沖縄県男女共同参画センター「てぃるる」

「聞こえない人もお笑いを楽しんでほしい。聞こえる人には手話に触れてもらいたかった」。2025年暮れ、練習場で大屋さんが創設動機を語る。幼い頃からCODA(コーダ=Child of Deaf Adults)。聴覚障害を持つ両親の下、聴者として育つ。母は音楽に触れるのが心地良かったのか、歌番組を好んだ。娘も自然に歌に親しみ、親戚の前でもアニメソングを披露した。バラエティ番組は欠かさず見、アイドルグループ「SMAP」に熱中。小学6年時は芸能事務所オーディションを受けたが、将来を憂える周囲の反対で泣く泣く夢を諦めた。

 

再び芸能の力を実感したのは、普天間高二年の或る日。ラテンバンド「ディアマンテス」のアルベルト城間さんが来校。ヒット曲「勝利の歌」をねだると「君が踊るなら」との返事。級友の見守る中ラテンリズムに乗り、創作ダンスで喝采を浴びた。「めちゃくちゃ気持ち良かった」。高揚感を胸に青春を謳歌したが、卒業後は専門学校に進む。

 

福祉系を選んだのは父母介助の経験が大きい。だが実習に馴染めず休学、スーパーのレジで数年働く。この間、社会福祉協議会の手話奉仕員養成講座で学び続けた。市役所でも手話の仕事に携わってはみたが将来を描けず、引きこもる。「うつ」の季節を支えたのは、またも歌。現状から抜け出したい…背中を押してくれたのがFUNKY MONKEY BABYSの「夢」だった。

 

転機は偶然、通院先の待合室で訪れる。2011年3月、東日本大震災が発生。テレビでいたましい映像が続く中、「吉本興業が沖縄に開くNSCの一期生募集中」とのCMが流れた。明るい色彩、弾む音楽。直感が走った。「私が、呼ばれている」。

 

付き添う友人の心配をよそに願書を送り、「お笑いコース」で合格する。養成所を12年に修了しデビュー。ピン(単独)芸人として3年間、那覇市内の劇場やお祭りなどの舞台に立った。駆け出しで苦しい日々。それを見ている人が居た。ゴリさん肝いりの「おきなわ新喜劇」メンバーに抜擢され、光が射して来る。個性入り混じるチームで演じる面白さ。場数を踏み、大勢のお客に喜んでもらえる楽しさも知った。

那覇市文化てんぶす館の「木曜芸能公演」に出演した折の一コマ=2023月02月23日。劇団アラマンダ提供

実は大屋さん、NSCの初授業の自己紹介でお笑いと手話を融合する構想を語っていた。それから7年。お笑いの世界では2018年正月、ピン芸人ナンバーワンを決める「R1グランプリ」で、全盲の濱田祐太郎が優勝を獲得。「これからは障害が有無に関係なく、平等にお笑いを見たり、演じたりできる時代だ」。手話を演劇に活かす劇団創設へ動いた。聴覚障害を持つ人は観劇中、聴者がなぜ笑うか瞬時には分からないことが少なくない。説明を聞くと分かるが、同時に笑えないモヤモヤをかこっている。「私は〝同時〟を実現したかった」。

 

誘ったのは信頼できる同期と後輩。思いやりがあり、一緒に課題に向き合っていける同志である。手話は皆、初。不安を抱かないでもなかったが、差し伸べた手に「面白そう」と応えてくれた。今もつくづく思うのは、2つの言語を同調させる難しさ。メンバーは「本番中、聴覚障害の方からの笑い声はほとんど聞かれない。終演後、良かったと言われると本当に嬉しい」と口を揃える。舞台の在り方に賛否もあるが、喜んでくれる人が居る事は事実だ。

 

 

「個人的に一番嬉しいのは、芸能人になるのを反対してきた母に褒められるようになったこと」と大屋さん。「芸能」と「手話」。その間で揺れ続けた日々。CODAとして見い出した接点を充実させ、まずは近未来の、全国ツアー実現を期す。

 

(谷本裕 ricca実行委員)
取材協力:神谷留未(よしもと沖縄)

 

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